働かざる者食うべからずという文化が辛すぎる

働かざる者食うべからず

親からも祖父母からも、ずっとそう言われてきたからそうだと思ってきました。

 

「辛い」って言ったら、「そんなの甘えだ」って言い返されそうだから「辛い」って言っちゃいけない。

 

だから、ぼくは「辛い」と言ったらいけないんだ。「辛い」と言ったら負けなんだと、言い聞かせて生きてきました。

でも、そんなに辛いのに自分の中に閉じ込めていて辛くないですか?

 

ぼくは辛いです。

辛いと声に出して言えないからはけ口がない

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日本は我慢することがかっこいいって風潮があります。

 

文句を一つも言わず、辛いことに耐えながら何かをやることがかっこいいみたいな感じ。

残業が多いとかサービス残業とかまさにその象徴。

 

そう、この国では我慢することが美徳なのだ。

 

体調が悪くても、不公平なことがあっても、キツイって思っても、何か言い返したくても、ぼくらは我慢しなければならない。

決して弱音を吐いてはならない。

 

そもそも弱音を吐く勇気なんてない。人に弱いところを見せるのはかっこ悪い。

 

大人になればばるほど我慢することが強いられる。

 

我慢している間は周りから讃えられるけど、我慢できなくてこぼれ落ちてしまった脱落者にはみんな冷たい。

 

脱落者には「働かざるもの食うべからず」という言葉がぶつけられる。

 

レールから外れないようにみんなしがみついている

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我慢できなくなって脱落した人にはみんな厳しいです。

 

「それくらいで悲鳴をあげるなんておかしい」

 

「働いていないやつが許せない」

 

「昔はこれが当然だったんだ」

 

そんな恐怖があるからみんな我慢して必死にしがみついているんです。

 

 

でも、それってただの我慢大会なんですよね。

 

限界値を超えた人に「甘え」と言って、その人を攻撃して、「我慢すれば将来のためになるんだぞ」という古い考えを押し付けてくる、ただの我慢大会。

 

その我慢大会に自分を犠牲にして参加し続けて身も心も削っていく。

 

我慢して我慢して、錆びついた鉄みたいになって過労死してようやく「辛かったんだね」って言ってもらえる文化。

 

何か問題が起こってからようやく認めてもらえる。辛すぎるよ。

 

我慢することで報われるなんてウソだ

みんな他人に対して厳しすぎます。

 

とくに群れからはぐれた人には冷たい。

 

「我慢することが美徳」ということが根付いているので「我慢できないのは甘えだ」とか言ってきます。

それに加えて「我慢すれば報われる」という無責任なことを平気で言ってくる。

 

未だに精神病を「甘え」とか「言い訳」だって言う人がいる。

そんな精神病を抱えている人たちが休職しても「甘え」とか「言い訳」という言葉で片付けられてしまう。

 

我慢の限界を超えて、休みが必要な人たちが理解されない文化って、あまりにも悲しすぎる。

我慢できる範囲なんて人によって違う

そもそも「何で我慢できないんだ!」って言う時点でナンセンスなんですよ。

 

例えば30分マラソンしてギブだけど腹筋連続100回できる人と、30分マラソンできるけど腹筋は連続9回しかできない人はどっちが甘えなんですか?

比べられないですよね。

 

だから限界値なんて他人が介入できる問題じゃないんです。

 

我慢を基準にするの、終わりにしませんか

「これくらい耐えられないでどうする」とか「甘え」とか言うの、終わりにしましょう。

 

その分野で我慢できる人もいるし、我慢できない人もいる。みんな限界値が違うんです。

 

我慢しているとかしていないとか、自分基準で考えるんじゃなくて、その人のことを見てあげてください。

 

「我慢していないから助けない」って言ったら錆びついた鉄みたいになってから、助けを受けることになります。

そんなこと言って飛んだらどうするの?起こってからじゃ遅いんだよ。

 

そこまでして我慢する必要ないじゃん。

 

だから、ぼくは素直に「辛い」って言えるような文化になればいいなと思っています。

 

そうすれば、お互いが助け合える文化が生まれる。

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